【いじめ体験】僕が日本一周やめた理由と、僕の人生8割をさらけ出す

ありすけ

どこにでもいる20代男性。
「Give&Give」の大切さを痛感し、ブログを書き始める。
休学中はヒッチハイクで西日本を放浪(おもに四国)してたり、
大阪で4ヶ月ほど路上似顔絵師になってたりしていました。

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こんにちは、ありすけです。

僕は一年前に日本一周をやりました。
しかし、結局途中でやめたので日本一周ではなく日本放浪が正しいです。
今でも日本一周したことは僕の人生においてとてもよかったと思っています。
ではなぜやめたのでしょうか。

まずは今回紹介する内容とこの文章を読んでほしい人を書きます。

今回紹介する内容2つ
・なぜ僕は日本一周をやめようと思ったのか(他にも理由はあるけど、当時の理由)
・日本一周をする原因になった人生の8割
この文章を読んでほしい人
・僕の人生の8割を知りたい人
・日本一周をやめた理由を知りたい人
・学生時代が現在進行形で苦しい人(見るのはあり)

ぶっちゃけ文章としては完全に完成していないです。
しかし、現在の僕には書けない当時の心境を完全にさらけ出した文章なので、あえて当時の原文をほぼそのまま載せようと思います。(誤字脱字多かったので多少修正してます)

1年前に書いた記事ですが、けっこうガチで書いてあったのでギャップがあるかも知れないです笑
(↑ここ重要)

実際書いた本人が見てちょっと恥ずかしくなってます笑
まあ面白いので、その時のありすけってこういう風に考えていたんだなぁと思って見てください。

お見苦しい点や見にくい点もあると思いますが、構わず出します。どうぞ。
長いと思った方は最後に要点だけまとめてあるのでそちらへ

【いじめ体験】僕が日本一周やめた理由と、僕の人生8割をさらけ出す

突然だが、日本一周やめようと思う。

何言ってるかわからないだろう。ああ、僕もわからない。

だが、とにかく日本一周をやめようと思う。

なぜか、怖いから?いや、ちがう。

日本一周を目的にしたくないと思った。

日本一周が自分の目的となにかがちがうと思ったのだ。

 

僕は日本一周する上でやりたいことが3つある

それが以下↓

 

・自分のやりたいことに一歩踏み出せない若者向けの発信をする
・単純に自宅以外の「マイホーム」を作りたい
・いろいろな人に会って自分の価値観をアップデートする

 

この3つだ。

僕は思った。僕は今まで日本一周にこだわりすぎていたのかもしれないと。

僕が本当にやりたいことは日本一周ではない。

この3つだということ。それを明確にしておかなければ話にならないということ。

だからこの3つを今後は重視していこうと思う。

だから、もしも誰かが「これ日本一周じゃないやろ!ただの放浪旅やろ!」

と思う人がいたら許してほしい。

僕は僕の生き方で人生を送りたい。

そして自分に素直でありたいのだ。

 

 

自分のやりたいことに一歩踏み出せない若者向けの発信をする

 

がそれをやりたいと思ったのは今年の5月あたりから。

日本一周ヒッチハイクをやりたいと思い立った辺りからである。

なぜ、日本一周をやりたいと思ったのか。

それは、若者向けの発信を意識していたからである。

そして、自分自身が次のステージに行きたい!変わりたい!と思ったからだ。

自分は今までたくさんの挑戦をしてきた。

初めてのヒッチハイクは朝6時から13時までやっても捕まらず、3度目の挑戦でやっと捕まってすごく嬉しかったり。台湾でヒッチハイクに挑戦したが、結局失敗したり。でも、台湾人から頂いたペットボトルの水1本がすごくありがたかったり。あとカンボジアでカンボジア人に似顔絵を描いて喜んでもらえたり、、、。

言ったらきりがないが、とにかく自分を変えたくて、こんなクソみたいな自分でももっとやってやろうと思って、とにかくやった。

 

そして、いろいろやっていろいろやって。

とにかくやってみて、あることを思うようになった。

 

「僕がみんなの役にたてるんじゃないか?

今度は自分も役に立てるんじゃないか?」

 

そんなことを思えるようになった。

 

は小学校と中学校にいじめを受けていた経験がある。

ようはいじめられっ子である。

純粋に考えて、人生の半分以上は「いじめ」に持っていかれている。

僕は小学校1年生のとき初めていじめを受けた。

それは一番残酷で僕にとって一生忘れることはない。

「友からの裏切り」である。

 

のことについて話そう。

小学生から中学生まで

僕は掃除の時間に大嫌いな6年の先輩がいた。

その先輩はいつも僕を集中的に怒鳴り散らす。

それが、小1の僕にとって恐怖でしかなかった。

「おい!!!ちゃっちゃと掃除しろよ!!!」

 

でも、僕は決して掃除をしていないわけではない。

いや、むしろ誰よりもきれいにしてやろうと当時の僕なりに頑張っていた。

 

だからすごく丁寧に床を磨いたり、窓を磨いたり。

でも、その先輩はどうもそれが嫌いだったらしく僕にばかり集中的に怒鳴り散らすようになった。

 

僕の他に、もう1人同級生の女の子がいたのだが、その子はぶっちゃけ掃除していない。

他の先輩と一緒に掃除せず話していたり、他のみんなもそれを黙認している。

その女の子のグループに入りたいと思ってはなしかけても、おまえは掃除してろよ。といわれ誰のグループにも入れず、ただ。ただわけもわからず、ずっと掃除をしていた。

 

なぜ、ぼくだけこんなに怒鳴られなければならないのか。

なんで、こんなに頑張っているのに誰も認めてくれないんだ。

そんなことをずっと思っていた。

 

は少しかわり、当時の僕はとても社交的だった。

話が合えばすぐ友達だと思っていたし、それが唯一の心の支えだった。

友達が僕のすべてだった。

 

その日は学校でたくさん余ったひまわりの種を、学校の廊下でたくさんの人に配りまわった。

その時に、僕は一人の「友達」ができた。

その友達は僕にありがとうを言ってくれてとてもうれしそうだった。

僕もそれをみてとてもうれしかった。

最高だな、友達ってたのしいな。

本当に友達を作ることが楽しくて楽しくてしょうがなかった。

 

を元に戻そう。

僕は休日に児童館で遊ぼうと母と一緒に児童館に遊びにいった。

僕は母に送ってくれてありがとうと伝えしばらく体育館で遊んでいた。

 

そしたら、来てしまったのだ。

最悪のやつが。

 

僕が嫌いだった6年の先輩が児童館で偶然バッタリと会ってしまった。

 

そのとき僕は本当に震え上がった。心底怖かった。心臓がバクバクした。

休日まで嫌いなやつに会うなんて冗談じゃない。

 

僕は隠れた。必死に隠れようとした。

 

だが、僕は彼に見つかってしまった。

 

はいきなり、彼に馬乗りにまたがられた。

彼とは体格差がありすぎる。小1が小6のやつにかなうわけがない。

僕は流れるがままに仰向けの体勢で馬乗りにされた。

 

そして、首を絞められた。

 

何度も、何度も、何度も。

 

馬乗りにされて重いし、コイツのこと嫌いだし、もういやでしょうがないのに首を何度も絞められた。抜け出そうとしても、逃げようとしても抜け出すことはできない。

 

「苦しいか?苦しいか?」

 

彼が首を絞めながら何度もそう言ってくる。

 

もうなんだか悔しくて苦しくてしょうがなかった。なんでぼくだけこんなに必要に嫌なことされるんだろう。本当に、本当にわからなかった。

わからなくて、ただただ泣いていた。

 

そして、ここで一番残酷なことが同時に発覚してしまう。

それは首を絞められた僕がそれ以上に残酷なことだった。

 

その友達も同じ児童館にいたのだ。

なんと偶然いたのだ。

 

僕は助けを求めた。

もがきながら、苦しみながら必死に助けを求めた。

 

だが、ちがった。その反応はちがった。

 

それは最悪の形で起こった。

 

なんとその友達も一緒に僕の体を押さえつけていたのだ。

僕は足すらも封じられてしまったのだ。

もう完全に身動きがとれなくなった。

 

その友達、そいつは実は僕の大嫌いな先輩の子分だったのだ。

そして、そいつはこの生涯で一生キズに残る言葉を僕に言い放った。

「おまえのことは友達だと思っていたけどもう友達じゃない。」

 

もう、タダでさえ訳わからずに苦しんだ状態だったのにわけがわからない。

もうどうしたらいいんだよ。

なんでなんだよ。

友達ってなんなんだよ。

もうわけわかんねえよ。

 

この日、この瞬間僕の中で「友達」の概念がずいぶんと変わった。

 

して、あれ以降も僕はたくさんの「友からの裏切り」を受けた。

それが中学校2年まで続いた。

 

小学校1年生のあの一件以来、友達というものが本当にわからなくなった。

友達を友達と思わなくなった。

本当に苦しかった。

絶対に心を許すな。心を許した瞬間裏切られる。

そう思っていたからだろうか。

僕が「友達」だと思っていた人が、次々と「いじめっ子」へと変化していった。

 

もう自分が嫌いで嫌いでしょうがなかった。

本当に嫌いだったけど、死ぬ勇気なんてなかった。

 

そんな自分がまた嫌で。なんで死なねえんだろうなって。

こんな自分誰も必要とされない。生きる価値なんてないのになんで生きてんだろう自分。

 

いつしか、自分の人生が「抜け殻」になっていた。

 

高校生活

うこんな抜け殻のような状態が高校2年まで続いた。

本当に苦しかった。いや、もう苦しむことすらなかった。

もう人生どうでもいい。本当にどうでもいい。

そんな状態が心の奥深くでずっと続いていた。

 

あるとき、高2の冬ぐらいだったと思う。

 

僕のクラスの中に一人のおもしろい存在がいることに気がついた。

 

その友達は人をまとめるのが大好きで進んでクラスの学級委員になったり、

バレーボールの全国大会で2位の実力を納めていたり。

とにかく当時の僕にとってすごい人だった。

なにがすごいって、とにかく彼女からは成長したい。

自分を変えてやりたいという欲求が全身からわき上がっているのを感じた。

 

僕は自分の人生の中でこういうような熱い人間に出会うのは

生まれて初めてだった。

 

そのときから僕は彼女に強いあこがれを抱くようになった。

僕も変わりたい、僕も成長したいという思いが強くなった。

 

3年生に上がったあるとき、

僕の入っていた部活動「ボランティア部」にメンバーが一人加わった。

 

そう、その人こそ、ぼくが強くあこがれていた彼女である。

そして顧問の先生は部活のメンバーを集めて一言。

「こいつをウチの部活の部長にしようと思う。」

こう言い出した。

 

なんだコイツは。

正直僕はそう思った。

 

なんで、はいったばかりのコイツがいきなり部長になれるんだ。

僕なんて2年間ボランティア部で活動してるんだぞ。

 

だが、それは怒りやねたみなどではない。

僕はますます彼女に惹かれてしまったのである。

 

そして、顧問は僕にもう一言言ってきた。

「おまえ、副部長になってみないか?」

正直わけがわからなかった。

この僕が副部長?いやいや僕なんてつとまるわけないだろ!?

こんなに何の役にも立てない人間だぞ!?

 

最初はそう思っていた。

だが、僕にある思いがふつふつとわき上がってきた。

「僕も変わりたい。自分を変えたい。僕も役に立てるかもしれない。」

そう思った。

僕はいままで自分のことが嫌いでしょうがなかった。

何の役にも立てないし、自分なんて消えてしまいたかった。

でも、そんな自分が嫌だからこそ、

こんな自分が嫌いだからこそ自分を変えたい。

そう強く思うことができたのだ。

 

れから副部長としての僕の1年間はすさまじいものだった。

 

僕は初めて生まれて部員をまとめた。これをやってほしいとか、あれを運んでほしいとか。いろいろ指示をして動かした。

当時の僕は人と話すことが苦手で指示も頼りなくて

ぶっちゃけ全然だめだめだったが、当時の僕なりに頑張った。

 

部長に頼まれて案も提出したりした。

こうしたほうが、もっとよくなるかな?というところを自分なりにノートにまとめ、LINEで送ったりした。時間はかかったし、勉強そっちのけでやったが自分が役に立てることが嬉しくてしょうがなかった。

 

いろいろ頑張っていろいろ頑張って。だめな僕なりにとにかく頑張った。

 

も、1年間を振り返ってあることに気付いた。

 

僕って本当に役に立ってるのかな?

そう思った。思ってしまった。

 

思えば、部長さんが有能すぎたのかもしれない。

僕はほとんど仕事ができなくて、ほとんどの仕事を部長さんに任せてしまっていたことに気がついた。

一生懸命にやっている部長さんをみて、僕も頑張ろうと思ってやっていても、

僕よりもはるかに早いスピードで彼女は仕事をこなしていく。

それがすごく悔しくて悔しくてしょうがなかった。

 

なんで自分はなにもできないんだろうって。

なんでこんなに頑張っているのに僕は何の役にも立ってないじゃないか。

結局、いじめられっ子はいじめられっ子のまま。

ぼくは何もできない人間なんだ。

それが本当に悔しかった。

 

でも、それが僕を本気で変えようと思った一つの大きなきっかけであった。

 

僕も変わりたい。本気で変わりたい。

もう自分が何もできない人間になんてなりたくない。

 

本気でそう思った。

 

だから、僕はそれ以来すごく頑張った。努力した。

大学生活

学に入って当時僕が思い描いていた楽しいサークルとは違い

自分が一番自己成長できそうなサークルに入った。

本気で変えてやろうと思った。

 

そのサークルは企画を運営してどんな企画にするのか、企画書を自分で考え提出したり。みんなからアドバイスをもらって、こうしたらもっといい企画になるよとアドバイスをもらったり。そしてメンバーを動かして企画をして、終わったら企画の反省会をして。次の企画に活かして。またその繰り返し。

 

ようは、ボランティア部でやったことの延長線上だった。

 

企画の総合責任者になったりと本当に大変だったし、勉強もおろそかになっていたが。本気で自分を変えようと思っていた自分にはどうでもいいことだった。

 

うして、1年半が過ぎた。

最初は失敗ばかりでどうしようもなかったが、いろいろ経験していく内に僕の頑張りをだんだんみんなが認めてくれた。

「ありぺー(当時のあだ名)、最近がんばっているね!」

その一言が僕にとってどれだけ嬉しかったことだろうか。

本当に嬉しかった。

だからもっとがんばろう。もっと役に立とう。そう思えるようになった。

 

が、あるとき何かがちがうなと思い始めた。

こんなにみんなに応援されて、よろこんでもらえて。

嬉しいはずなのになぜか、なにかちがうと思った。

 

今思えば、この一年半の疲れが出ていたのかもしれない。

みんなに喜んでもらえてすごく嬉しいけど体がどこかそれを嫌がる。

まるで体がもう仕事したくないといっているかのように。

心と体がちがう方向を向いてるかのように。

 

なにかちがうなと思った。

なにかこの仕事は自分に向いていないなと思った。

だが、それをどうするのか。僕にはその対処法がわからなかった。

 

んなあるとき、僕の運命を180度転換させる大きな出来事が起きた。

友達が僕にこう言ってきた。

「面白いイベントがあるんやけど、ありぺーも一緒に行かない?

ありぺーが好きそうなイベントやと思うよ!」

 

正直その「おもしろいイベント」の内容が僕にはわからなかったが、

友達がせっかくそう言ってるんだと思って二つ返事でOKした。

 

それが、僕が人生で僕の常識が一番ひっくり返るようなイベントだった。

そう、それこそまさに僕が変わる大きなきっかけになった

出来事の一つ!!!

「旅のイベント」なのである!!!

 

読むのめんどくなったらこちら(とりあえずこれ読んどけって)

まとめ
小学生
小1ではじめていじめられた。「友の裏切り」
この出来事で人との関わり方がわからなくなった。
中学生
→人との関わり方がわからず、別の人からの「友の裏切り」が続く、ガチで病む
高校生
→ボランティア部で人生初の副部長になる、自分を変えようと決意するが失敗
大学生
→大変なサークルに入り、自分を変えようともう一回挑戦する、
みんなの役に立てて楽しかったが、なにかが違うと思った。

そんなある日、旅のイベントに誘われ人生が一変する!
これがのちに日本一周につながる。

結論
人生変えたかったら環境を変えよう!あと旅に出よう!

あとがきみたいなもの

以上が僕の大学2年までの自分史です。ほぼ8割です。
正直今の自分と本気度が違っていて震えています笑
(今はもっと楽な姿勢で挑戦してます)
日本一周をやめた後はなんだかんだ1年お金について真剣に悩んでいて、
現在は「give&giveの達人になる」「僕の知識すべてをアウトプットして人生生きやすくする」を目標にブログを書いています。理由は面白そうだからです。
発信したら人が集まってくると思うので、その人達で何かやったら面白そうだなぁと。
単純にそれです。あとお金。
学生生活が散々だったり、日本一周やめて少し病んだり。
いろいろありましたが、こうやってアウトプットすることが今は楽しいです。
当時の僕からすれば、考えもつかないでしょう。

もし、今学生で現在苦しい人。こんなやつでよかったら僕に話してください。
もし、会いに来てくれるのなら喜びます笑
連絡はお問い合わせフォームから連絡でもtwitterでもいいですよ。

とりあえず僕は今の目標のためにブログがんばろ!汗
それでは!

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